休日のドライブ


さあ、美保関までのドライブのお話の始まり、始まり。

夏の退院以来今日まで元気に過せたことへの感謝の参拝です


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神社までの道は青色畳通りと呼ばれ昔ながらの情緒いっぱい。

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数年前に灯台としての役目を終えた灯台は今でも観光客があり、

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名物の烏賊干しがあり、その脇では土壌掬いの人形が愛嬌を振りまいて

”あらエッサッササ”

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雲間から差し込む光りが水面をキラキラ、そこへタンカーがこれもパチリ

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漁船は休漁、防波堤の釣り人を発見、狙いはチヌ、鱸、ひらめか?

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帰り道、夫婦岩を見つけパチリ

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船止めの竹柱に鳥が羽を休めてのんびーーーり

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無人市にかたらの赤い実が、秋の深まりを感じつつ求めました
はしょってのご案内でした。

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# by mamarinn30 | 2007-11-12 11:38 | Comments(8)

夫のおーーーーい行くぞのドライブについていったら何と美保関でした。
いっぱいお話したいこと有りますが、今日は昔懐かしいお醤油さんの話です。
今でもこのふるい工場で醤油を昔ながらに作っているということです。

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もろみの匂いがぷーんと鼻をつき懐かしさでいっぱいでした。

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長年使ってた釜が壊れ修理に出しているとか。ちかじ近々直ってくるというけどものすごい大きい釜のようだ、写真がなくて残念です。

以前と違って減塩だということで二本求めました。1リットルの減塩ポリと400ミリリットルの掛け醤油で1155円とは高いと思ったけど昔懐かしい醤油を味わおうと・・・・・・。


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夕食の刺身に使ったら、夫いわくうんうまい、味が丸いと抜かした。
単純細胞、店の人にその気にさせられたか?それとも夫の舌が確かだったか。
# by mamarinn30 | 2007-11-11 18:36 | Comments(6)

エンゼルトランペット

”咲いてるぞ”知ってたけど知らん顔して何が?
あれあれ、あっ!何時もの調子、名前が出てこないのに業をにやしエンゼルトランペットでしょ、(あれトランペットエンゼルだったかな?)
うん、そうそう今朝のわたし達の会話です。
ややかたさのやわらいだ蕾から

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少しふくらんで、(午前)

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昼前には

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あっ!既に開いているのが

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ちょっと角度を変えて

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中はどうなってるのと真下から見上げました

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淡く優しい色の花青空に映えていました。
# by mamarinn30 | 2007-11-10 10:09 | Comments(6)

41年前の手紙

フリータイムの今日、何気なく和ダンスの引き出しをあけたら41年前の両親からの手紙が出てきました。
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当時私の住むところは宅地に造成中、周りは竹林や砂利道、便利な電話は勿論なし、ポストもバスで町まで行かなければならないようなところでした。
唯一思いをつたえる手段は手紙のみとなりました。(バスも2時間に1本、1日に4,5本でした)

街中で育ったわたしは淋しさもあり、毎日両親に宛てて手紙を書いて
バイク通勤の夫に毎日忘れずに出してねと託したものでした。
父が病弱、弟、妹を学校に行かせるのに精一杯だった母は朝は日の出から夜は日暮れまで働き、夜は夜なべで仕立物をしていた、何時寝るのかなあと思ってました。

その両親から、知らない土地へ嫁したわたしを案じる手紙、孫が生まれた喜び、日々の出来事を記した手紙が時には葉書に2行、便箋に数枚、鉛筆だったり、ボールペンだったり、山ほど出てきました。

懐かしく読んでいるうちにエプロンンは涙でグシュグシュ、畑仕事で何時も泥まみれの母の姿が浮かんできました。父からも用件を伝えるみの便りがいっぱい、”
元気で過せ”の文字が7円葉書に、15円の切手を貼った手紙に・・最後には癖文字で記してありました。
茶色く色褪せていてもどんなに文字が霞んでいてもわたしの大事な宝です。
電話が通じるようになった昭和48年まで続いた手紙のやり取り。

貧しくてあちこち出かけた思いでは少ないけど、節々には質素ではあったけれどその都度用意をしてくれた父母、ひな祭り、七夕、お正月、などなど。

婦人会で習ったという薄焼き卵で巻く寿司は遠足、運動会、お祭りでは一番のご馳走だったような。
何時だったか母と一緒に作って食べた味、弟がアーーーー懐かしいと一言。

思い出の母の味があることの幸せ、我が子たちは何を母の味として覚えているだろう?
なるべくならと殆ど手作りで来たわが子たちには、あーーーー解らない、思い出せないなんていわれないようにと思ってるわたしですが、みんな離れて暮らして十年超、今ではお袋の味が何なのか・・・・・・・・・。帰省すると、煮物が、野菜がといってくれるだけでもありがたいかなあ。

一人感慨にふけった小春日和の半日でした。
# by mamarinn30 | 2007-11-09 12:33 | Comments(4)

足摺岬パート2

夕べ見損なった夕日に変わり今朝は水平線に上る朝日を見るためミサキの突端へ、ところが意地悪天気の神様は厚い雲で覆い隠してまったくみることできず。とりあえず写真はとったけど・・・・・・・・・・
ハイビスカスが地植えだったのもびっくり、大木に真っ赤な花が咲いていました

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派手な見送りを受け宿を出発、可愛いぞうりともお別れね。(ピンボケでごめんなさい)

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あいにくの雨の中の観光となり、漁に出て遭難その後助かりアメリカで13年暮らし日本に帰り貢献したジョン万次郎の銅像をうつす。
足摺灯台まで歩く歩く(往復25分)、立派な日の御崎灯台を知るわたし達には物足りない。ただそこで見る太平洋は雄大だった。

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四国といえばお遍路さん、38番札所の金剛福寺へお参り、境内をパチパチ、お遍路さんもパチリ。

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続き景勝地竜串海岸へ、奇岩がいっぱい、雨のため足早に退散。

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雨の中ハマユウがひっそり咲いていた。

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皆、トイレ休憩の場所でお土産の量が膨らんでいく。
買わなきゃ損みたいにして、(これは我が家の一部)
もう一つわたしの誕生石珊瑚の指輪をpaparinnからプレゼントしてもらいました。

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最後に内子の古い町並みを散策、働き者だったであろう、婆ちゃんが軒先にみかんを売っていました、15個百円、なんだか申し訳ない気持ちでした。
顔と手の皺が一生懸命働いたよといってるようでした。
婆ちゃんバスの中でいただいたみかん甘くておいしかったよ。有難う。


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駆け足では有ったけど無事四国(土佐)の旅を終え住み慣れた我が家に戻ったのは午後9時過ぎでした。ああーーーーー疲れた。
# by mamarinn30 | 2007-11-07 10:19 | Comments(10)

気ままに、気ままに。